棚町知彌先生追悼集


棚町知彌先生を偲んで

2010.8.15


 2010年7月20日 逝去された棚町 知弥先生(元有明高専一般科目教授・元長岡技術科学大学教授)を偲んで、今日 盂蘭盆会の日に 追悼の写真・資料を添えて、各方面からの追悼文をアップさせていただきます。
 ヒューマンネットワーク高専をお導き頂きありがとうございました。
 謹んで ご冥福をお祈り申し上げます。  会員一同

棚町知弥先生のご逝去を悼んで

有明高専機械工学科1期生

有明高専同窓会 有友倶楽部事務局長
有明高専元教授

川嵜義則

 

 棚町先生の突然のご訃報に驚き、気持ちの整理が出来なく数日を過ごしています。心からお悔やみ申し上げます。私、川嵜義則は、昭和38年4月に開校しました有明高専に1期生として入学、開校したやまびこ学校のような仮校舎時代から棚町先生の教育を受け、育てていただきました。物質的に決して恵まれていなかった学校環境の中で、先生の強烈な個性溢れる働きかけで、どこの誰にも負けない心豊かな学生、社会人として生きてくることが出来ました。先生のことを忘れたことは一度もありません。ここに、これまでの先生のご指導に対する心からの感謝を申し上げ、先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
 先生のご葬儀等はご親族のみで執り行われるとのことを知り、拙文ではございますが、有明高専同窓会会長に代わり、先生と関わりの深かった事務局長の私から、先生のご逝去を悼み、ここに弔辞を述べさせていただきます。
 7月22日午前、国文学資料館からの依頼で、棚町先生の有明高専ご在職時代のご業績調査、それもご逝去による叙勲推薦ということで、初めて棚町先生の訃報を知ることになりました。突然のご訃報に驚き、わが耳を疑いました。というのも、この6月5,6日、ヒューマンネットワーク高専(通称HNK)の年次総会を有明高専同窓会がお世話をさせていただき、荒尾市グリーンランド、ホテルカザブランカで開催、特別講演の講師として棚町先生をご招待することで計画していたからです。先生に是非おいでいただくよう講師依頼をしたのも私でした。結果的に、先生からお電話、またご丁重なお手紙を戴きました。内容は、「私の体調について周りから旅行の許可が出ないので、今回は欠席をお許し下さい。ただし、出席者には、決して棚町の体調が良くないなど言わないでください。あくまで、川嵜君や池田君も定年を迎えたので世代交代だよと言っていたと伝えてください」でした。
 実は、私、先生のご講演の前座を30分ほど務めさせていただくことでこの上ない光栄を頂けること、さらに、会場のホテルカザブランカは、40年近く前、有明高専ご在職中に在外研究から帰国された棚町先生が、イリノイ工科大学のトーダ教授を招聘され工学教育に関する国際会議を開催された、先生にとって思い出の会場だったのでした。
 まだ誰も考えていないことに早くから着手し、具現化されるところが棚町先生の特質です。学生時代5年間、高専の教師として3年間、その後も先生のご活躍を聞いたりした私の知るところで主な事項を挙げます。


高専の国語教育と図書館
 先生は、高専開校時から、独自の国語教育を実践されました。高専1年次は、一応、高等学校の教科書を教科書として採用されましたが、中身が大きく違います。徹底した原典主義です。一部を抜粋してある教科書の内容だけでなく、学生は全部を原書で読まされます。これが、「キュリー夫人伝」から始まるのです。中学を出てすぐの学生には抵抗がありました。先生の偉大さは、学生に大いに抵抗させて逆に学生が読書好きになるところです。しかもまもなくです。中間テストでは、先生の教育方法に対する反論が数多くあるのに、夏休み前くらいには皆、本を抵抗無く、いや進んで読むようになります。また、定期試験は、全て読書感想文、試験後は、添削された答案用紙を前に、学生全員と個別に面談、指導です。この教育法の用意周到さ、懐の深さは先生しかできない技でした。
 並行して、高専の図書館は如何にあるべきかを課題に文部省に働きかけ続けられました。当時学生だった私は、先生が構想されている新営有明高専図書館の間取り図を、何度も墨入れ清書したものでした。私共が卒業して3年目に、念願の図書館が完成しました。たまたま帰省した私は図書館の前に立ち、声を上げたいくらい嬉しかったことを記憶しています。驚いたのは、床は当時珍しかった絨毯張りで、私が書いた図面よりずっと立派な設計でした。でも、先生は、「図書館は建物でなく利用内容です。そのためにも開架式でなければならない。」とも強調されていました。全国に先駆けて作られた有明高専の図書館、でも以後出来た他高専の図書館は、さらに設備の整った図書館でした。皮肉なものですが、先を走るものの宿命でしょうか。

工学教育と総合実習
 1期生が卒業して暫く経って、高専の袋小路論が叫ばれ始めました。棚町先生は、高専卒業後の進路先としての技術科学大学(当時は、高専卒業生のための大学院大学とかとも称されていたようですが)の創設への働きかけ、今ひとつは、高専における工学教育の手法の模索に没頭されていました。
 前者では、その内容の詳細は分かりませんが、知るところでは、途中、飯塚に設立されるのではという情報もありました。結局、後年、長岡と豊橋に技術科学大学が創設されることになりました。
 後者については、機械工学科の木本知男先生と、今でいう問題解決型もの作り教育(PBL)を提唱、その教育の実践の場として総合実習センター構想を打ち出され、その後着工実践されました。丁度、3ヶ月間の在外研究員となられる機会を得られた先生は、欧米を視察され、先生の目にとまったのがイリノイ工科大学(I I T)で、トーダ教授がプログラムディレクターを努めるイーキューブプログラムでした。帰国後、荒尾市グリーンランドのホテルカザブランカを会場に、国際会議イーキューブジャパンセミナーを開かれ、国内外から多くの著名者が参加され大盛会でした。有明高専の総合実習、I I Tのイーキューブプログラムという2つの教育方法を軸に活発な討論がありました。当時、日本の大学・高専では、工学教育への関心は今日に比べものにならないくらい低かったその時に開催されたこと、これも問題を先取りする先生の姿勢そのものが現れた一つでした。なお、有明高専の総合実習は、その後、発展的に地域共同テクノセンターへと吸収されましたが、類似の教育方法が、後発の他大学・高専において積極展開されたこと、これもまた皮肉なことでした。

 以上のことからも分かりますように、結局、棚町先生は何もないところから、しかも人が議論し出す前に、先駆けて問題提起をし、確実に形にしていくことに妙味を感じられていたのではないでしょうか。有明高専から山口大学、長岡技術科学大学、園田女子学園大学、国立国文学資料館と、次々と転出されましたが、長岡での人文系カリキュラムの構築、同じく図書館新設へのご尽力、園田での近松研究所創設などを聞くとき、先生の姿勢が、私にも分かるような気がいたします。すなわち、常に先を見て、先手を打つ姿勢を貫かれています。

 1昨年のHNK総会で、高専卒業生に、「母校が発展することが、君たちのステータスを挙げることに繋がります。いまこそ、高専の力を発揮するときです。」と力を込めて訴えられました。

 私の知るところについて、一部を述べさせていただきましたが、まだまだ言い尽くせぬ思い出があります。しかし、先生から教えていただいたもの、それは一貫していました。物事全てに対して、自分でしっかり観察し、しっかり考え、そしてしっかりと自分の足で立ち上がり、そして歩いていきなさい、ということではないでしょうか。
 棚町先生、有難うございました。先生に出会えて本当に良かった、先生と一緒に学び、働くことが出来て良かったです。本当にそう思っています。
 そして、本当にお疲れ様でした。ごゆっくりおやすみ下さい。
 有明高専の卒業生を代表して、改めて、先生のご冥福を心からお祈りいたします。有難うございました。

                        平成22年7月28日(水)

 


棚町 知彌 先生

 先生には、既にやすらかにお過ごしのことと思います。

 黄泉の国には、さっさと逝ってしまった、私の古い高専の友人の佐倉君が居ますので、お見かけしたら声を掛けてやって下さい。『君の友人は、君が抱えたような悩みを、みんなで受け止めることのできるHNKという会を作ったよ。』と。 
 
 また、志半ばで早々に旅立った、ヒューマンネットワーク高専準備会代表幹事山崎元さんが居ますので、『HNKは、立派な「赤とんぼ12号」を発行できるまでになったよ。』と。
 
 既にそちらに渡られた私の高専の先生方には、『長野高専のOB等も、全国の高専人に混ざって頑張っていましたよ。』と、お伝えを願います。
 私たちは、先生たちが残してくれた『ヒトの輪』を広げて、「技術や変革を目指す若者が、高専を通って社会に出ることで、研究や仕事を通じて、人類の未来の幸せに貢献できる」ように願い、ひとりでも多くの若者が夢に向かって進めるよう、できる限りの応援をする考えですので、天上にて暖かく見守って戴きたいと思います。
 
 どうか宜しくお願い致します。


ヒューマンネットワーク事務局長

宮下 和美

長野高専 機械工学科 3期生


尾上@赤とんぼ編集委員長です。

棚町先生の訃報に接し、哀悼の意を表します。
この6月の有明総会でお会いできるのを楽しみにしていたのですが、残念に思っていました。

まずは、先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 


長谷川です。

残念です。
諸事情で、最近は先生と会う機会が取れず、そろそろ連絡しようと思っていた矢先、

もの凄く後悔してます。

 


佐世保高専の朝永です。

棚町先生の訃報を知り、心より哀悼の意を表します。
田町のCIC東京で、高専生の横のつながりが出来てきた様子をみて
君たちはようやく学生の横のつながりを持たせないという高専制度の呪縛から
解き離たれることが出来るようになったようだねと言われた言葉を思い出します。

 


宮下和美@HNK事務局長です。
 
 棚町先生、さようなら
 HNKをやっていなかったら、全く知らない先生でありました。
 
 先生は遺言状を携えてHNKにやってきて、有明高専のみなさまと長岡技大のみなさまだけの、素晴らしい先生を越えられて、航空高専で一般市民を相手に講義をもたれ、長野高専を訪ねられて、ここでも泊まりがけの先導を戴きました。
 
 1昨年には、ひょっこり、CICでの総会にお見えになられて、元気な相変わらずの気合いと、最後のメッセージをいただきました。それは、一生忘れられない想い出でです。
 
 先生は、遺言状をみんなに渡し、同時に川崎さん、池田さん、宮下孝洋さんを兄弟子として紹介し、尾上さんに想いを託し、私たちみんなを新弟子にして、「思いの外、長きに渡って君たちを見続けられた。楽しかったよ」と考えておられたことでしょう。
 
 ひとり一人の心の中に生き続ける先生になられて、天寿を全うされました。

 先生は、偉大でありました。 
 ご冥福をお祈り致します。
 ありがとうございました。

 


たった今、先生の訃報を知りました。

総会での講義以外に、近松門左衛門が書いた戯曲の解説を直に聞いています。
高専に寄せる思いと人柄が印象深く残っております。

井崎

 


平井/奈良です。

哀悼の意を表します。

先生の講演を撮影させていただいたのも、もう8年前なんですね。

この講演の時一度しかお会いしておりませんが、学生と対等に向き合う先生だなあと思いました。
我が母校にはおられないタイプの先生でしたが。
撮影が終わって、懇親会の席上で先生にあの独特な文字でタイトルを箸袋に書いていただいたことが昨日のことのように思い起こされます。

 


組込み業界高専OBネットワーク発起人の中村正規(鶴岡OB)です。

 小生には40年間以上も親しくしている有明高専1期生の友人がおり、彼に棚町先生のことをおききしたら、下記のようなメールが届きましたので、皆様に披露させて頂きます。


=以下引用=
私にとって棚町先生は3年ほどユニークな国語の先生でした。
授業は、本を読むこと、テストは感想文で全員に及第点をくれました。
文法などの授業は一切無し、フランス、ロシア、日本の近世の本をひたすら読んでいました。
授業の最初は「キューリー夫人伝」、3年目の最後は「チボー家の人々」でした
その間は、近松、漱石、ドストエフスキー、紅葉、露伴等々読みしました。
当時の先生は近松門左衛門の辞書みたいなのを作られていて、バイトしたことを思い出します。
とにかく忘れがたい先生で、本との出会いの大切さを教えてもらいました。

 

 40年以上も前に受けた最初と最後の講義を今でも鮮明に記憶しているとは、ほんとうに素晴らしい先生だったのですね。感動しました。


中村正規
鶴岡高専電気工学科1期生