2013年9月21日の講演 要旨


追悼講演:伊藤文博さんの死を悼む  

一関高専 准教授 梁川甲午さん


msn 産経ニュースより

(見出し=南三陸出身の伊藤文博さん 82歳の母親は仮設住宅で生活) 


アルジェリア人質事件に巻き込まれた伊藤文博さんの一関高専の同級生で、同校准教授の梁川甲午さん=23日午後、岩手県一関市

 事件に巻き込まれたとみられる日揮社員の伊藤文博さん(59)は東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町の出身。実家は被災し、母、フクコさん(82)は登米市にある仮設住宅での生活を余儀なくされている。次々と伝えられる厳しい情報に、知人らは悲嘆に暮れつつ、息子との再会を心待ちにしていた母の心情をおもんぱかった。

 伊藤さんは一関工業高等専門学校(岩手県)を卒業後、東京工業大で化学工学を専攻。日揮では主に資源開発関連のプロジェクトに従事し、平成16年には自らがリーダーとなってアルジェリアで天然ガスプラントを完成させた。

 海外勤務が多かった伊藤さんだが、来月には帰省し、フクコさんの元を訪れる予定があったという。中学の卒業生が集まり、自分たちの還暦を祝う会の開催が予定されているからだ。

 仮設住宅の住民によると、フクコさんは自治会のイベントに顔を出しては、「息子は海外で働いている」「偉くなりすぎちゃってね」とうれしそうに話し、自慢の息子との再会を楽しみにしている様子だったという。

会の幹事を務める公立志津川病院(登米市)の横山孝明事務長(59)のところには昨年末、伊藤さんから電話があった。「自分は(南三陸町に)泊まらず、お母さんの所に寄るんだ」。こう語っていた伊藤さん。「まじめで、頭脳明晰(めいせき)で、みんなに信頼されていた。彼とは18年ぶりの再会だったのに…」。横山さんは悔しさをかみしめる。

 フクコさんは23日朝、仮設住宅を出ると、用意された車に足早に乗り込んだ。玄関先には、伊藤さんが贈ったとみられる花の箱が、ぽつんと残されていた。

 「まさかこんなことになるなんて」。近くに住む三浦光子さん(68)は、こうつぶやき、フクコさんの心情を思いやった。



特別講演:高専から研究者への道のり  〜DNAと私、その後〜

理化学研究所ライフサイエンス技術基盤研究センター チームリーダー、タグシクス・バイオ株式会社 代表取締役 平尾一郎(沼津高専 工業化学科6期 S51年卒)


 高専の卒業研究で遺伝情報物質であるDNAに魅せられて、以来、40年の人生をDNAと共に歩んできました。気が付いてみれば、今は、次世代のDNAを作り出す研究にどっぷりと浸かっています。まだまだ、自分の研究は続いていますが、そんな合間に、ふとこれまでを振り返ると、つくづく高専生の独立独歩の冒険者精神が自分のキャリアを支えてきたのだと実感します。そこで、この度は、一高専生としての私の研究者としてのキャリアと新しいDNA技術のお話しをさせて頂きます。
 研究者として転機となったのは、1995年に大学のポストをなげうって、単身、米国に渡った時でした。自身の研究に不完全燃焼を感じていた私は、思い切って新たな研究分野を開拓するために、米国で一からやり直すことにしました。その時、せっかく高専という通常とは異なる日本の教育制度で育ってきたのだから、人とは違うことをやりたいという気概があったと思います。それからは、DNAを通して真にサイエンスを突き詰める研究に専念してきました。高専出身らしい研究者のお話しが出来ればと思っています。